SINCE
10/APRIL/1998
魚釣りの歴史はいつ頃から始まったのでしょうか?
江戸時代? いやもっと前の戦国時代? それとも卑弥呼の時代?
その答えは、人類の歴史が始まって以来ではないでしょうか。
人は生きるために狩りをして獲物を捕り、木の実や草や葉を食し、魚を捕り
生活をしていました。
最初は手づかみで、やがて銛を使い矢を使い、そしてついには釣り針と糸が
登場するのです。
すでに石器時代には、石製の針が使用されていたことを歴史が物語っています。
こうしてその時代に則した手法の「釣り」が次々と生み出されてきました。
釣りは、最初、生きるために始まり、そして次第に魚を捕る事を楽しむという
分野に移ってきたのです。
京都の嵯峨野に「大覚寺」という古いお寺があります。
(もともと嵯峨天皇の離宮でありましたが、876年(貞観18)
淳和天皇の皇后正子様がお寺とし、恒寂法親王 により開山され
たお寺で、その後、親王が入寺して門跡寺となりました。
後宇多法皇以後、南北朝時代には南朝の皇統が入寺し、嵯峨御所
とも呼ばれております。)
そのお寺の側に「広沢の池」という大きな池があります。
(もちろん現在では、魚釣りは禁止されています。)
そこには、船泊まりがあり、『釣殿』がありました。そこは貴族たちが、釣り
を楽しむための部屋であったそうであります。
すでに、平安時代には、こうした釣りそのものを楽しむ「遊魚」が存在してい
たのです。
やがて時代は移り変わり、時は元禄・世は太平。江戸時代の幕開けとなります。
徳川幕府の安定した世の中で、階級階層別に芸術・文化が大きく花開くこととな
ります。
そして、武士階級の中で、働かなくても食うには困らない旗本が沢山おりました。
日々の生活の中で、彼らには生き甲斐がありませんでした。
当然の如く、趣味の世界に没頭していくのです。
その上、付近には格好の釣り場がありました、それは 江戸湾でありました。
こうした時代背景の中で、数多くの釣り人が生まれてきたのです。
この時代に生きた一人の釣り人がおりました。
陸奥弘前・津軽家の当主で四千石の旗本『津軽釆女』という人物であります。
彼は、自らの生涯の大半を釣りに注ぎ、『何羨禄』を署しました。
かせんろく【何羨録】
江戸湾を中心とする釣漁技術書。
吉良義央の女婿で陸奥黒石藩主津軽采女正の著。
1723年(享保8)成る。 <広辞苑>