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10/APRIL/1998



釣 り の 歴 史 館


第二章  竿師  「松本東作  泰地屋三郎衛」        


       「采女」が釣り三昧の生活を送り、『何羨録』を著した頃、日本の釣りの

     歴史に大きな足跡を残したもう一人の男が登場します。

     徳川紀州藩の江戸詰め武士、『松本東作』であります。

     現在の東作 「松本三郎」 さんは、初代の直系で六代目にあたられます、また、

     江戸和竿 の開祖で、現在の竿師 数十名 のほとんどが この人、東作の分家で

     あります。


          さぁ〜石心竿の歴史館のはじまりっ〜、はじまり、えぇっっ・・・

      時代はさかのぼり、江戸中期の1780年(天明年間)であります。

       この時代は、1774年・・・・杉田玄白らが、『解体新書』を出版。

                      蘭学が盛んとなった頃であります。

             1783年・・・・浅間山の大噴火、天明の大飢饉の始まり。

             1787年・・・・徳川家斉11代将軍となり、

                      老中 松平定信が寛政の改革をはじめ

                      「倹約令」を出した時代であります。



     こうした時代背景に生きた、この初代東作が恋をしました。

     相手は泰地屋三郎兵衛という材木商の一人娘。

       (この娘 世に言う絶世の美女?

        かどうかは判明いたしておりませんが・・・。)

     ともかく、彼は恋を貫き、武士という身分を捨てて彼女と結婚する決心をし

     ます。

     しかし、彼には材木商という商いが肌に合わない。またまた、義父の築いた

     ものを、そのまま引き継ぐことは、さらに己のプライドが許さなかったので

     あります。


     昔の人はここらが違う、かくもともかく自力での生活の道を選ぶことになる

     のであります。


     天明8年(1788年3月)江戸広徳寺前(現・台東区上野三丁目)にて、

     新しい生活を始め、同時に新たな商いを始めることとなるのであります。


     今で言うなら、リストラにも負けず、新天地で転職するようなものでしょう

     か?

     いやいいぇっ、もっと厳しいものを背負って自立の道をたどったのであります。


     なになに・・何を開業?  

     実は、東作が選んだ職業は 「釣り道具屋」さん でありました。

     永年にわたり養ってきた、釣りの技術を生かし、釣竿つくりを始めたのであ
 
     ります


     初代東作の誕生であります。(松本東作、系図)

     そして、材木商を継がなかったせめてもの養父に対する思いから、

     「泰地屋東作」と名付け屋号とします。


     以来二百年余にわたり、東作の技と心意気は現在まで受け継がれることとなる

     のであります。

     竿つくりには130以上の工程があり、まさに芸術品、至芸であります。